私、主婦になりました。

24才で結婚。25才で田舎へ移住した26才の主婦の話。

夫との価値観の違いによって失われた自信と自尊心の話

スポンサーリンク

f:id:becameawife:20190305233143j:plain

この話は、少し前の私が夫に対しての尊敬や想いから拗れてしまった自尊心についてのお話です。身なりについてが主ですが、食べ物や生活において同じようになっている人がもしかしたらいるかも。そう言う人に読んでもらえたら嬉しいです。

「どうしてピアスをつけるの?ダサいよ」の一言がきっかけ。

これは結婚当初、出かける準備をしていたところを見た夫が見た時に私に言ったセリフです。

他にも色々ありますが、私がおしゃれだと思っていたことを否定されたことのなかで一番印象的なのはこの言葉でした。これがきっかけで私の身に付けるものに対しての感覚がだんだん変わっていきました。

 

夫への評価が高く、そのせいで自分の評価が低くなってしまった。

日頃街中にいる人をよく観察する夫。流行に敏感で、なんなら先に流行るものを予言してしまうくらい観察力、直感力が優れている夫。

本当、出会った頃から尊敬しているところです。

「ムラサキの服ってなんで少ないんだろうね、かっこいいのに。」と言った2年後、店の店頭にはムラサキのトップスが並ぶようになったり。「セットアップ”の服がもっと選べるくらいあったらいいのに。」とボソッと呟いたその次のシーズンにはもうテレビでお洒落ミュージシャンが夫の言っていた通りの服を来て歌っていたりするのです。

私はその能力を隣で見ながら「ああ、この人は本当にセンスがあるんだな」と思って過ごしていました。

その先入観があったからか、いつかを境に夫のいうことはなんだか何でも正解のように思えて夫が「いいね」と言えば正解。「え、ダサいよ」というと不正解。だという認識をするようになりました。

夫の言葉が気になりだす前の私

17才という多感な時期。私がよく見ていたのはKERAというちょっとパンク気味なファッション雑誌と、サイケデリックと言われる絵や映像でした。家にはアジアン系の雑貨がよくあり、結構派手なものが身の回りにあったので自然とそういうものが好きになっていました。

そのまま大人になっても感覚はあまり変わらず、パンク系からは少し外れましたが、エスニックファッションをよく着るようになりアクセサリーもジャラジャラと多めにつけるようになったのです。

 

一方、夫はそういう派手なものに抵抗はないものの、アクセなどに対して感心が無く、むしろ”ダサいもの”と認識があったようなので身につけたりは全くしていませんでした。年齢を重ねるにつれ、シンプルなものが好きになり今ではすっかり無地のグレーやネイビーのシャツを多く着るようになりました。

派手なものが嫌いな訳ではないので数枚服は持っているのですが、あまり着ている所を見たことはありません。

とにかく私が可愛いと思って見せる服、特にアクセサリーはほぼ「ダサい」「面白くない」「似合わないよ」で否定されます。夫のセンスを信じている私は「そうなのか」と買うことを断念しあまり服を買わなくなりました。アクセサリーもほぼ新しく買ったものはゼロです。

何かを我慢してるかもしれないと思ったきっかけ

それが普通の感覚になって来た近頃、これではいけないということに気づくきっかけがありました。

学生の頃の友達でやっているグループラインで作っているアルバムをたまたま見返していた時のことです。自分が写っている写真が並んでいるのを見てハッとしました。

「私、なんか同じ服ばっかり着てない・・・?」

ゾッとして、後頭部あたりがツンッとひきつったのを覚えています。

私、この服、夫がいいやんと言ったから安心して外に行く時着てたんだ と気づいたのです。

「ダサいから買うな。」「似合わんから着るな」と言われている訳ではないのですが、好きな人が「ダサい」と思っているものをわざわざ着るのもなあと思い躊躇してしまっていた私。結果、自分の好きを度外視し無難を選び、それでオッケーなんだと感覚が麻痺していたのです。

なら、夫の意見を聞かずに服やアクセサリーを購入していた時、どうやってものを選んでいたのだろう。。。と考えても全く思い出せないのです。自分が好き、これが欲しいという感覚が、自分の中で生まれなくなっているのかと思うと怖くなりました。

好きな人の好みに合わせたいだけ→自信がないだけだったかも

この記事を読んでいると、なんかすごく夫が悪いように見えてしまうかもしれませんが

結果何が問題だと感じたかと言うと、私の自分への自信がただただ無いだけだったのです。どんなに尊敬して好きだと思っている人の意見でも全てが正解では無いし、合わせなくてもよかったのです。

思えば、夫の意見を気にして買い物に行く時私は何もかもを流して見るだけで、楽しみながら商品を見ていませんでした。お出かけする朝、何を着て行こう。今日の気分はこのピアスだなと、考える楽しい時間はいつの間にか消え失せていました。

 

本当は大きなピアス、ちょっと重ためのブレスレット、刺繍がたくさん入ってる赤いワンピース、タイダイの大きめのTシャツが全部大好きなはずなのに。

「どうしてそんな物身に付けるの?」「どうしてそれを選ぶの?」と聞かれただけで

「あれ?これおかしいのか。じゃあやめないと」と思ってしまい「好きだから」と答えることができなくなっていたのです。

 

なんて勿体無い時間を過ごしていたのだろう。自分の気分をあげることができるアイテムの一つだったのに。

最後に。同じかもしれない人には読んでほしい。

いま、同じように誰かの意見を聞いて自分の好きなものを見失いそうになっている人。

好きな人のタイプに自分を合わせようとしている人。

相手が自分の中で大きな存在であればあるほど、その変化は間違えていないと言う考えになってしまうかもしれません。

が、ちょっと待ってください。

それを変えることによって自分の楽しみが一つ二つと無くなってしまいませんか?

なんだか自分の中で違和感が生まれてしまいませんか?その違和感は別名ストレスではありませんか?

 

私は、結果、違和感がありストレスでした。

今思い起こせば、他人の服装を見て「なんであの人はあんな服を着ているんだろうね。」と、街ゆく人をさす夫を見て「好きだから着てるんじゃないの?いいじゃない」と心のどこかで思っていました。その「好きだから着ている」は私にも当てはまっているに私は、気づかなかったのです。

これからも時々、夫の趣味嗜好を気にしてしまうことはあるかもしれませんがその時は「ちょっと待ってその感覚!」と意識してストップしようと思います。

だって、楽しみが減るのは怖いから。

「ダサ」と言われても「私は好きだからいいのよ」と言える自信を持って、好きなものを増やしていこうと思います。

 

ピアスだって、ブレスレットだって、これからジャラジャラつけるのです。



スポンサーリンク